Bonjour

日本語教師の資格をとってから早1年が経とうとしております


、、、なかなかいきなり先生をするのは難しく

、、、よくわかってない人は簡単に 「やればできるよ」 なんていいますが

そんないい加減にはできないのです。ましてや 相手は外国人・・・

やはり経験を積まないといけないと思っていたとき、日本語教師の資格をとるための大学

で知り合い友人つきあいしている Kさんから連絡をいただきました

Kさんの住んでいる街は 国際交流協会という団体があり (ちなみに私の街にはありません。おくれております

) そこで外国人にヴォランティアで日本語を教えているのです。 その授業をまずは 見学にいきましょうと・・・・さっそく 見学へ その日はたまたま 人数がすくなかったとのことでしたが、中国の方

ベトナムの方 がいらしてました。とても熱心に勉強されてて

感動でした

そしてそのあと Kさんは 今度3週にわたり 日本語教師のヴォランティアをされる方のために養成講座が市であるので参加しないかとのお誘い

もちろん 二つ返事

KさんのすむT市在住でなくても受けられるというので ま 少々遠いですが、、、

30分。。。参加することにしまして、、、第一回の講座を受けてきたのです。
講師の先生は公益社団法人 国際日本語普及協会(AJALT)の方で 年配にもかかわらずエネルギッシュで素敵な先生でした。その先生のおっしゃってたことが ひとつひとつ 納得で、、、まず 日本語学校ではないこと。=生きた日本語を教えること。 同じ市民として対等の立場で接すること(先生とは呼ばせない。さんづけ) 文型重視ではなく 生活のための日本語であること。お互いの文化を学ぶ姿勢をもつこと。 言葉と文化を教えること などなど
実はこれは
大学で日本語教師の資格を取る時に学んだことと ほぼま逆・・・

当然といえば当然なんですね。一つは学校として きちんとした日本語を教えなくてはいけない=文法重視 またこのヴォランティア教師は 日本にすむ外国人が生活がスムーズにできるような日本語を教えなくては意味がない=生活重視
要は 日本語を学ぶ方々が どういう立場の方で なにを学びたいのかを きちんとうけとめて その人に必要な日本語を教えるということなのです。ですから 地域のヴォランティアは 資格は重視されてません。それより 親切に親身になってよりそって生活できるようにしてあげられる人が大事なのでしょう
来週は 数人の外国人にいらしていただいて 講座をすすめるようです。本当に学問の語学と 生活の語学は違うのですね。 たしかに 日本にすむ日本人の日本語は 文法的にはそうとう ひどいです


でも まったく生活には問題ありません。。。。言葉ってそういうものなのかもしれませんね

私はやはり 日本にすむ外国人の人が生活に困らないようになってほしいので、、、この国際日本語普及協会(AJALT) の考え方に賛同します

Mille Joies Planning

Mieko SATO