Bonjour

先日 フランス映画の試写会に行ってきました

岩波ホール他で6月9日から公開される映画、キリマンジャロの雪

舞台はフランス、マルセイユです

ビクトル・ユゴー(Victor HUGO) の影響も受けているこの映画、、、確かに

と思う節が多々。
ビクトル・ユゴーの「哀れな人々」から この映画を着想したとか。確かに ビクトル・ユゴーは一貫して人間尊重をテーマにしてますね。人間愛というか。貧しくてもやさしい心があれば って。
私はビクトル・ユゴーの権威権力に対しての勇気は大尊敬してます。でも 今一つ 100%納得できないのは、、、本当に 貧しくて貧しくて 自分が生きるのも大変な人が 他人を思いやり 自分をおいて 他人に尽くせるものか、、、ということです。まずは 自分の貧しさを克服してから でないと。 現実は甘くはありません。綺麗事ではいきません

今回の映画も 貧しくても って ありますけど本当に貧しい家庭ではないのです。普通 一般です。だから 貧しくてもという言葉が適当かどうか… ちょっと疑問です。
とはいえ、、、じゃ 普通の庶民の生活をしている人でも 他人の子を面倒みれるか といわれたら それはなかなか難しいです。そういう意味で この映画は 心にしみる

映画でした。
そして何より 私が感動

したのは 映画の中心のご夫妻がいるのですが このご夫妻が同じ心を持っていたということでしょうか… どちらかが 反対なら 他人の子は迎えられません。夫婦ってこういう形が理想だな と思いました

また反対に こういうベースでつながってないと 一緒に居られないのだということでしょう。同じ境涯というか・・・

ただ 難しい問題もこの映画の中で 問いかけてます。仕事を解雇され 収入を絶たれたら人が強盗を働くのですが、どうして強盗までしなくてはいけなかったのか と思いやるシーン があります。いっけんするととても素晴らしい考え方。(表面的にはですよ

)
でも それは違うでしょう、、、どんなことがあっても 社会や他人のせいにせず 生きていくこと これが大事です。 理由がどうあれ 強盗 は犯罪。理由があれば なにをしてもいいのか。。。ということになりかねない。 お金がある人がいつも 貧乏な人に施しをしなくてはいけないのか… 一時はそれでなんとか しのいでいけても 根本が変わらなければ その人は ずーーーと 貧乏 なんです。そして ずーーーと 社会や他人のせいに して 生きていく事しかできない。
フランス社会にある、根強い習慣。 フランス(パリ)に行かれた人ならきっと皆さん わかると思います。メトロ

や教会の前

、路上、郵便局の入口

などなど で 施しを乞う人々。
3月にパリに居た時も、 メトロで堂々といかに自分が可哀想で 仕事がなくて お金がなくて 社会が悪くて だから 1ユーロでも2ユーロもお願いしますと。。。 大きな声で

叫んで廻る

人々に遭遇。 そして そのひとにお金を入れるフランス人

未だにこういう習慣がまかり通る フランス。一生 あ~~やって生きていくのか と。だれも 施しをしなければ あの人たちは自分で生きていかなくては とその道を探すのでは。。。あ~~やって 施す人がいる限り 自分で生きて行こうとしないのではないかと。 やさしさ って 本当のやさしさ って なんだろうか といつも パリで考えさせられるのです。
日本も 仕事を選び、厳しい仕事を避け、それで 失業という形で失業保険をもらい、国がそういう形で働かない人を 援助しすぎると

ゆくゆくは フランスのようになりかねません。本当に仕事ができない人か それとも 国の保護を利用しようとしているのか、、、見極めていくのは難しいかもしれませんが、、、最終的には 人間教育をしていかない限り 改善はできないのかもしれませんね。難しい問題です

Mille Joies Planning

Mieko SATO