Bonjour

「ALWAYS 3丁目の夕日」や 「探偵はBarにいる」 とか聞いたこと 見たことあるでのはないでしょうか

日本アカデミー賞 最優秀脚本賞を受賞されている 脚本家・劇作家の古沢 良太さん。先日 NHKにでていて初めて

こういう人だったのか、、、と知りました。
発言がとてもいい。なんか視線が鋭くて それでいて優しい。繊細さを感じた。同感できました

特に印象に残ったのは 彼が
「可哀相」ってことばを使うのが、なんか~っていってた事。確かに言われてみれば
「どこか上から」 的な感は否めない。私も結構まえから この
「可哀相」って言葉 なかなか使えないな と思っていた一人です。犬や猫に対して使うのと 人間に対していうのとちょっと違う。
あと、一般的に
「常識」 とか
「普通」とか言われていることが 本当にそれが常識なのか、普通なのか わからなくなるとも、、、、”大学までいって、 大手企業か公務員になって、30歳までには結婚し 子どもを2,3人もうけて” っていう「常識」 「普通」 これに当てはまらないと 「可哀相な人」 だという 通念。 確かに アルアル だ

そういうことなら 私も「可哀相な人」なのだけれど

、、、それなら今の日本にどれだけ「可哀相な人」がいるのだろうか。。。 そして 「可哀相な人」 という枠に入っていない人が 幸せでいるのだろうか
そもそも 「可哀相な人」って思うこと自体が 傲慢であり 上から目線。見方を変えて あえてこの言葉を使うなら、「可哀相な人」は 世の不確かな「常識」にとらわれ、大学行きたいわけじゃないのに行って

、とりあえず少しでも有名な給料のいいところに勤め

周りがしたから結婚して

、 結婚したら子どもを産まないとだから生んで

いざ 定年になったら その後の人生どうしたらいいかわからない

、好きなこともないし できることもない、家庭では口もきかない夫婦関係

になっていく そんな人たちなのではと思ったりする。
大学行くか行かないかも 自分の意志のもと 結婚も 出産もだ、、、自分の意志で自分がきめていくこと、それをしていない人が多いから おかしな「常識」「普通」がまかり通る日本になってしまった気がしてならない。他人の目を気にしている人間があまりに多いこの日本は ちょっとここらで変わらないといけないと思うのだけど、、、
自分が(他からどうみられるかではなく)やりたいことをして、 自分で責任をとっていけばいい話。
他人がどうこういう話じゃない

。少しまえ タレントの伊藤あさこさんが 憤慨してましたけど、、別に一人だからといって不幸じゃない。と・・・
要は 人間が100人いたら 100通りの生き方があっていいのだということなんじゃないでしょうか・・・ね。桜梅桃李。私の廻りでも 桜梅桃李を声高に言う人はいるけれど いざ自分の思い込んでいる「常識」「普通」からはみ出ている人をみると 拒絶反応を起こす傲慢な人がどんだけ多いことか、、、口先だけじゃなく、本当の意味での一人一人を尊重できる人を目指したい。
そ- 思う人ばかりになったら 「可哀相な人」 なんて いう言葉は使えなくなるし、可哀相な人 はいなくなると思うのだけれど。
普通 って思っていること 常識って
自分が思い込んでいることを ちょっと考えてみる時間をとってもいいかもしれない。
Millejoies Planning

Mieko SATO