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”フランス・イタリア”リピーターの方へ情報を発信するブログ。

マクロン大統領 再選おめでとうございます!

Bonjour

4月24日にフランス大統領が決まりました。マクロン大統領 再選です
ハラハラドキドキで、、、よもや 極右のルペンさんにでもなろうもんなら、、、
胸をなでおろしたのは私一人ではないでしょう。

おそらくマクロン大統領で大丈夫だよと言われても 選挙ばかりはふたをあけてみないとわからないものですから。
アメリカ大統領がトランプになったときのようなことになるわけで、、、何がおこるかわからない恐怖はあります。

これで閣僚も大きくかわることもないでしょうし。。。
ひとまず 安心しました 

いよいよ 6月にはフランスから旅行業界の方々がプロモーションに3年ぶりに日本にきます。懐かしいひとたちに会えることを心から楽しみにしたいと思います。

1日もはやく ウクライナ問題が解決して、コロナもインフルエンザ化して、また自由に海外にいけるようになる日を心待ちにしています。おそらく2023年から普通になると信じて

今年のGWは気をつけながら すこしずつ出かけようかと思います 皆さまもくれぐれも気をつけてお出かけください

Millejoies Planning
Mieko SATO

フランスの風

Bonjour

昨年から小諸で仕事をさせていただいて、、、やっと私の願いが少しずつ叶いはじめています。

昨年海野写真家の写真展で オープニングの日にはじめての試みでフランス風にマルシェを開催したところ大成功!大雨にも
関わらずたくさんの方がいらっしゃいました。今年はお天気が禍したのか、また開催時間がよくなかったのか昨年よりオープニングの日は少なかったものの たくさんのちびっ子たちがきてくれました。写真展は無事に8月22日に終了いたしました。また来年素晴らしい写真展となりますよう私もなんらかの形でお手伝いできればと思ってます。

そして昨年からこのフランス風のマルシェが 小諸や東御市で開催されるようになりました。地元のイベント企画会社アンド23が頑張ってくれたおかげです。思えば1年前の5月 弊社がアンド23に小諸はフランスの気候に似ていると海野写真家が言ってたので、フランスに日本で一番近い街としてプロモーションしようともちかけたのが はじまり。 地元にいない私はアンド23に託すしか道はなかった。。。 
廻りの人には 小諸がフランス? と嘲笑されたり スルーされたりしましたが、、、いまは 小諸にフランス の風が吹き始めたと自負しています

9月5日ビオマルシェ 9月4日5日プレOPENまちたね

小諸に通いはじめて 1年2か月になろうとしています。たった1年で小諸は大きくかわりました。きっと何年も前からの計画が時が一致したのではないでしょうか。 駅前にはこもテラスという施設が8月22日にプレオープン。10月にはその施設に隣接した ご存知TSURUYA が グランドオープンします。TSURUYAは軽井沢で有名になりましたが 実は実は 小諸が発祥地。そしてオーナーも小諸ご出身です。昔の小諸しかしらない人は きっと おったまげる と思います。車を運転しないかたや 観光客の方には朗報 なかなか足がなくていけなかた場所もこれからは電気自動車のバスが走ります たのしみです

これから 弊社とイメルションジャポンという旅行会社で日帰りツアーをコロナ終息後 開始しますので、是非小諸にお越しください。
マルシェ開催の日に合わせて ツアーをする予定です。詳細はフェイスブックかインスタにて。

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Mieko SATO

ナポレオン

Bonjour

1821年5月5日に亡くなった人といえば、皇帝ナポレオン、誰もが知るフランスの英雄です。賛否両論ありますが
とはいえ ナポレオンの名を知らない人はあまりいないのではないでしょうか
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今年で200年。コロナさえなければ、私はこの200年祭のときにコルシカに行こうと思ってました ナポレオンを偲んでというよりは、とにかくコルシカの海は美しい、もう一度あの海を見たいとおもってのことです。
海派じゃない私でも、コルシカの海に魅了されました

10年前はナポレオンの生まれた町 アジェクシオから入って、
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バスティアから出ました 最初にコルシカの山の方へ行って コルテ村。コルシカ鉄道で行くのですが、私が行った10年前はボロボロでちょ~~汚かったコルシカ鉄道も今はとってもきれいな車両になりました

何と言っても 美しい海というのでいったのが ジロラタ村。
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本当に本当に早くコロナが解決し、再びナポレオンの故郷へ行きたいものです。200年前にかの英雄がこの島で生まれたんだな~~と思いながらの街歩きは何度行っても飽きることなどありません。
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コルシカに興味ある方 是非一緒にコルシカ行きましょう

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フランス フラン時代

Bonjour

先日、フランスつながりの友人から面白いサイトを教えてもらい、早速アクセス
フランス通貨がフラン時代の硬貨を指輪にできるというもので、10サンチームが指輪になりました

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ちゃんとこの指輪の表には フランスの3指針 Liberté Egalité Fraternité 自由 平等 友愛 の字が見れるようになってます。
そして裏側には République Française フランス共和国 と。

いろんなことをよく考えてくれる会社があるもので、私のフランス時代を身に着けることができてうれしいです。私も探したら20サンチームを持ってたので 20サンチームでもできるかを電話で聞いてみたら、どうやらできるようで、20サンチームは別サイトがありました 結局私の20サンチームではなく、年号も入るとかで自分の入れたい年号があったので、(生まれた年にしようかとも思いましたけど)、忘れてはいけない年があるので その年にして再び依頼しました
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フランスへ行けない今、フランスを感じられるアイテム 私が暮らした フランス フラン時代の硬貨なのでうれしさもひとしおです。2001年から€ユーロになり、私がいた時に使ってたフランはもう使われなくなったけれど、こうしてまた私のそばに居てくれます J'aime la France comme vous le savez.

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フランスの母 逝く

Bonjour

昨夜 訃報のメールが届きました。こういう時がくることは覚悟をしていたはずですが、いざとなると辛く悲しいものです。日本時間の今日16時半が葬儀というので、遠く日本からお祈りしてまいります

私がいまこうしてフランスの仕事をしていられるのは この方との出会いが会ったからと言っても過言ではありません。私のフランス語の学校のときのホームステイ先のマダム Madame Lehner ( マダム レネー) フランスの母です。
この人のところにホームステイしていなければ こんなにフランスを好きにならなかったかもしれませんし、こんなにフランスに執着し、フランス語を学び続けることはなかったかもしれません。
マダムと出あって28年、初フランスから30年の節目にあたる本年、マダムが逝くことは私の人生にも意味があるのでは、と思ってます。数年前から フランスへのパッションが薄れ始め (老化現象か?と思ったり) その間 テロがあったり ジレジョンがあったり フランスの仕事が難しくなってきて 本年のコロナで完全にフランス行きが止まりました。そんな中での フランスの母の死。 飛んで行きたくても 今はフランスへも行けない。なんで今年なのか、、、なんで今なのか、、、悲しくて辛くて どうしたらいいのかわかりません。もう92歳でしたから 大往生なのはわかってます、最後まで一人で全部自分でやって、誰の世話にもならず、昨年までホームステイで学生を受け入れていた、天晴な亡くなり方だとも思います。でも いまじゃなくても なんて思っちゃうのです。

どこかでもうフランスに関わって拘っていきなくてもいいかな と思い始めたところがありました。しかし マダムの死によって やっぱり こだわり続けよう と腹が決まりました。こだわり方は時代にあわせざるをえませんが、でも 自分のなかでもういいかな って思うのはやめようと思いました。 Merci Madame そうしているかぎりマダムは私の中で生き続けてくれると信じます。

1928年1月18日生まれのマダム。フランスを離れても毎年お祝いを言い続けた28年。たった4か月のホームステイ。その後の28年がお互いの仲を深めていったのだと思います。ホームステイ先のマダムと学生 で終われなかったマダムの魅力は人間を愛し、食べることを愛す、言いたいことはその場ではっきり言い、豪快で、チャーミングなマダム。マダムとはホームステイ時代 よく夜中までいろんな話をし(当時はまだマダムの言っていることは半分くらいしか聞き取れなかったけれど、でもわかるのです) 泣いたり笑ったり、よく二人でしました。(実母とはしたことがないのに) 愛犬の散歩やシャンプーも一緒にして マダムと愛犬グースと歩く アリエ川の風景は忘れられません。お料理もよく手伝ったり、とにかくいちスタジエじゃない娘のような生活をさせてくれました。学校で勉強してこととホームステイの生活で覚えたことと両方が私のフランス語を上達させてくれたと思います。

私がマダムに 「どうしてマダムは3人も子どもがいるのに女の子しか生まなかったのか!もし男の子を生んでくれていたら もしかしたら私はマダムの娘になれたのに」と 言ったことを思い出します
マダムは私に会うたびに嬉しそうに「私が男の子を生まなかったせいでミエコはまだ一人か?」って冗談をいってましたそうだよ マダムのせいよ って。。。懐かしい会話です。本当にお姑さんならこの人と思える人でした 3人の娘さんたちが羨ましたかったです。

マダムレネー また次の場所で 絶対に絶対に会いましょうね。そして今度は一緒に生きていきたい。娘として生まれてきたい。フランスの母じゃなく 私の母になりますように祈りつつ。合掌

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Mieko SATO



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Author:Mille Joies
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