Bonjour

昨夜 訃報のメールが届きました。こういう時がくることは覚悟をしていたはずですが、いざとなると辛く悲しいものです。日本時間の今日16時半が葬儀というので、遠く日本からお祈りしてまいります

私がいまこうしてフランスの仕事をしていられるのは この方との出会いが会ったからと言っても過言ではありません。私のフランス語の学校のときのホームステイ先のマダム Madame Lehner ( マダム レネー) フランスの母です。
この人のところにホームステイしていなければ こんなにフランス

を好きにならなかったかもしれませんし、こんなにフランス

に執着し、フランス語を学び続けることはなかったかもしれません。
マダムと出あって28年、初フランスから30年の節目にあたる本年、マダムが逝くことは私の人生にも意味があるのでは、と思ってます。数年前から フランスへのパッションが薄れ始め (老化現象か?と思ったり

) その間 テロがあったり ジレジョンがあったり フランスの仕事が難しくなってきて

本年のコロナで完全にフランス行きが止まりました

。そんな中での フランスの母の死。 飛んで行きたくても

今はフランスへも行けない

。なんで今年なのか、、、なんで今なのか、、、悲しくて辛くて どうしたらいいのかわかりません。もう92歳でしたから 大往生なのはわかってます、最後まで一人で全部自分でやって、誰の世話にもならず、昨年までホームステイで学生を受け入れていた、天晴な亡くなり方だとも思います。でも いまじゃなくても なんて思っちゃうのです。
どこかでもうフランスに関わって拘っていきなくてもいいかな と思い始めたところがありました。しかし マダムの死によって やっぱり こだわり続けよう と腹が決まりました。こだわり方は時代にあわせざるをえませんが、でも 自分のなかでもういいかな って思うのはやめようと思いました。 Merci Madame そうしているかぎりマダムは私の中で生き続けてくれると信じます。
1928年1月18日生まれのマダム。フランスを離れても毎年お祝いを言い続けた28年。たった4か月のホームステイ。その後の28年がお互いの仲を深めていったのだと思います。ホームステイ先のマダムと学生 で終われなかったマダムの魅力は人間



を愛し、食べることを愛す



、言いたいことはその場ではっきり言い、豪快で、チャーミングなマダム。マダムとはホームステイ時代 よく夜中までいろんな話をし(当時はまだマダムの言っていることは半分くらいしか聞き取れなかったけれど、でもわかるのです) 泣いたり

笑ったり

、よく二人でしました。(実母とはしたことがないのに) 愛犬

の散歩やシャンプーも一緒にして マダムと愛犬グース

と歩く アリエ川の風景は忘れられません。お料理もよく手伝ったり、とにかくいちスタジエじゃない娘のような生活をさせてくれました。学校で勉強してこととホームステイの生活で覚えたことと両方が私のフランス語を上達させてくれたと思います。
私がマダムに
「どうしてマダムは3人も子どもがいるのに女の子しか生まなかったのか!もし男の子を生んでくれていたら もしかしたら私はマダムの娘になれたのに」と 言ったことを思い出します
マダムは私に会うたびに嬉しそうに「私が男の子を生まなかったせいでミエコはまだ一人か?」って冗談をいってました。
そうだよ マダムのせいよ って。。。懐かしい会話です。本当にお姑さんならこの人と思える人でした

3人の娘さんたちが羨ましたかったです。
マダムレネー また次の場所で 絶対に絶対に会いましょうね。そして今度は一緒に生きていきたい。娘として生まれてきたい。フランスの母じゃなく 私の母になりますように祈りつつ。合掌

Mille Joies Planning

Mieko SATO