Bonsoir

コロナの問題でTVが再放送ばかりだったり、放送中断だったり、、、

NHKの大河
「麒麟がくる」も 朝ドラ
「エール」も 放送が続けられないようです

「麒麟がくる」 といえば、、、まあ この大河 難続きです

ご存知 途中まで収録していたのに取り直しになり、、、だれかさんのせいで(たとえどんなに美しかろうが

どんなに演技がうまかろうが

、(うまいかどうかわかりませんが。)人間として

、、、私は返って川口さんになって不幸中の幸いと思ってます

取り直しになって 共演者は大変だったでしょうが、、、NHKもさ~~もっと人選に気をつけろ

って言いたいですよね。共演者達。私が代弁しときます

そして このコロナ 第二弾の難。。。
一度あることは二度ある 二度あることは三度ある と昔からいいます。ちょっと心配している 3度目の難。。。これが、、、地震じゃないことを祈ります

焼岳の噴火が心配です。

明智光秀という方 もしかして かなり祟られているのか・・・今回の大河 関係者の中に 難を呼ぶ人がいるのか・・・こんなに撮影、収録、放送が大変な大河って あまり記憶にありません。内容はとても面白いのに残念ですね。
ところで 前回5月10日といい17日といい 心が痛くなりました。 2話とも兄弟が殺し合うシーン。。。昔も今も兄弟姉妹の関係は難しいです。
それは親の育て方が問題。この問題は必ずと言っていいほど、親のエゴによるもの。差別して子どもを育てる。斎藤道三にしても 織田信長の生母にしても それゆえ 兄弟が殺し合わないといけなくなったです。人間ですから そりゃ 我が子でも合う合わないもあるでしょう、、、でも それは親が克服しようと努めなくてはいけないもの そこに挑戦するために親になったのに それを忘れてしまうところから不幸が始まるわけです。それが自分には無理だと思ったら 一人だけにしておけばいいのです。兄弟が殺し合うより よほどまし。。。
親は子どもを育てる中で成長するのです。成長するということは 困難がつきもの、、、そのために自分と合わない子どもがいるのです。わざわざ 親のためにそうやって生まれてきてくれるのです。その子どもの存在価値を価値としていけるかどうか、、、
歴史を学ぶ意味はただ年号を覚えることや 出来事を追うだけではないのです。
今も昔も何ひとつ 変わらぬ人間のサガのようなところに着眼していくところに 歴史を学ぶ意味があると思うのです。
他人であれば そこまで 恨んだり 妬んだりしないだろうに 同じ親であるからこそ そうなるわけです。私も最近よく思いますが、、、
血縁ってそんなに大きな意味があるのだろうか、と。日本人はやたらと血縁を大事にする民族ですが、、、身内よりずっと 他人の方が自分を理解してくれる場合も多いような気がします。身内は見ているようで見ていない。わかっていると思い込んでいるけれど 一方からしか見ていないことが多いように思います。
よく 友人たちと話ます。 最後は兄弟姉妹より 本当に仲いい友人の方が大事だと。同じ価値観だから友人なわけですからね。
生んでもらえたこと 育ててもらえたこと すべてにありがとう って歌がありますが、もちろん 子どもの立場ではそうでしょう。親に感謝しない子どもなんていないと私は信じます。それを 要求したり 疑ったりする人がいればその人の心が腐っていると思います。
同時に 親も子どもに対して 生まれてきてくれてありがとう 育てさせてくれてありがとう って気持ちは大事なのではと思います。どちらか だけではないのです。
親は親になったとたん 完璧な人間になるわけではないって こと 歴史からも大いに学べるのではないでしょうか・・・ほんとに
歴史上 死ななくていい人が沢山いたと思います。
Mille Joies Planning

Mieko SATO