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”フランス・イタリア”リピーターの方へ情報を発信するブログ。

おとなしい国民 日本人

Bonjour

終戦の日を迎えるにあたり毎年戦争関連のTV番組が企画されてます。再放送のものも沢山ありますが、、、たとえば東京裁判、マンゴーの樹の下 はすでに放送され、たまたま夜中で寝る前に見ることができました。日中だったら難しかったけれど。
今年は15日に「太陽の子」という番組がNHK総合で。そこには先日自殺した三浦春馬さんも出演していて なんだか感慨深いです。死にたくなくても 死ななければならなかった青年がどれほどいたか、、、
その撮影に臨んだ人が 自らの生命と絶つとは、、、悲しすぎます

私の年齢であっても戦争は知りません。もう戦争を体験した人たちがどんどん亡くなってきていてその悲惨さ壮絶さをテレビでしか見ることができなくなりつつあります。テレビでもまだやってくれているからいいですが、、、

マンゴーの樹の下でを見た時、本当に自分が戦争を知らずに好きな事をして生きてこれたことに感謝するとともに、戦争を始めた人間たちに怒りがこみあげてきました。そしてその戦争を始めた人間たちに逆らわず 参加していった国民たちにも。戦争は一部の政治家や国家が決めるけど その人達が前線で戦うわけじゃなく 戦うのは国民たち(とりわけ青年)もし国民が全員 反対したら戦争はできない。 国家に逆らう勇気をもてばこれからの戦争は防げるのではないかと 思ったりしました。
今は世界が SNSで繋がれていて若者が結束することもできますから、、、もし間違った方向にいった場合は 勇気をだして NOといえる青年たちであることを希望します。同じ失敗をしないために。

核の問題にしても どうして被爆国の日本国が核廃絶に消極的なのか、、、私にはとても理解ができません

コロナの問題にしても いかに国家のやることが トンチンカンで適切な対策がなされていないか 国民のためと思っている人の意見が全く通らないか、、、 だれのための国なのか わからないことが多々

日本人もそろそろ ただただおとなしい 政府にとってやりやすい国民 でいることを考えなおさないといけない時期にきているのではないかと思います。 国民一人一人が考えて どの政治家が国民のための政治をしようとしているのか、他人事ではなく 政治に参加していかないといけない時になってきたと思います。今回のコロナのことで 学ぶことは大 大 大。

羊1000匹より獅子1匹  一人一人が獅子になれば 怖いものはありませんね

Mille Joies Planning
Mieko SATO


兄弟は他人の始まり

Bonsoir

コロナの問題でTVが再放送ばかりだったり、放送中断だったり、、、
NHKの大河「麒麟がくる」も 朝ドラ「エール」も 放送が続けられないようです

「麒麟がくる」 といえば、、、まあ この大河 難続きです ご存知 途中まで収録していたのに取り直しになり、、、だれかさんのせいで(たとえどんなに美しかろうが どんなに演技がうまかろうが、(うまいかどうかわかりませんが。)人間として、、、私は返って川口さんになって不幸中の幸いと思ってます 取り直しになって 共演者は大変だったでしょうが、、、NHKもさ~~もっと人選に気をつけろ って言いたいですよね。共演者達。私が代弁しときます
そして このコロナ 第二弾の難。。。 一度あることは二度ある 二度あることは三度ある と昔からいいます。ちょっと心配している 3度目の難。。。これが、、、地震じゃないことを祈ります 焼岳の噴火が心配です。

明智光秀という方 もしかして かなり祟られているのか・・・今回の大河 関係者の中に 難を呼ぶ人がいるのか・・・こんなに撮影、収録、放送が大変な大河って あまり記憶にありません。内容はとても面白いのに残念ですね。

ところで 前回5月10日といい17日といい 心が痛くなりました。 2話とも兄弟が殺し合うシーン。。。昔も今も兄弟姉妹の関係は難しいです。それは親の育て方が問題。この問題は必ずと言っていいほど、親のエゴによるもの。差別して子どもを育てる。斎藤道三にしても 織田信長の生母にしても それゆえ 兄弟が殺し合わないといけなくなったです。人間ですから そりゃ 我が子でも合う合わないもあるでしょう、、、でも それは親が克服しようと努めなくてはいけないもの そこに挑戦するために親になったのに それを忘れてしまうところから不幸が始まるわけです。それが自分には無理だと思ったら 一人だけにしておけばいいのです。兄弟が殺し合うより よほどまし。。。親は子どもを育てる中で成長するのです。成長するということは 困難がつきもの、、、そのために自分と合わない子どもがいるのです。わざわざ 親のためにそうやって生まれてきてくれるのです。その子どもの存在価値を価値としていけるかどうか、、、歴史を学ぶ意味はただ年号を覚えることや 出来事を追うだけではないのです今も昔も何ひとつ 変わらぬ人間のサガのようなところに着眼していくところに 歴史を学ぶ意味があると思うのです

他人であれば そこまで 恨んだり 妬んだりしないだろうに 同じ親であるからこそ そうなるわけです。私も最近よく思いますが、、、血縁ってそんなに大きな意味があるのだろうか、と。日本人はやたらと血縁を大事にする民族ですが、、、身内よりずっと 他人の方が自分を理解してくれる場合も多いような気がします。身内は見ているようで見ていない。わかっていると思い込んでいるけれど 一方からしか見ていないことが多いように思います。
よく 友人たちと話ます。 最後は兄弟姉妹より 本当に仲いい友人の方が大事だと。同じ価値観だから友人なわけですからね。

生んでもらえたこと 育ててもらえたこと すべてにありがとう って歌がありますが、もちろん 子どもの立場ではそうでしょう。親に感謝しない子どもなんていないと私は信じます。それを 要求したり 疑ったりする人がいればその人の心が腐っていると思います。
同時に 親も子どもに対して 生まれてきてくれてありがとう 育てさせてくれてありがとう って気持ちは大事なのではと思います。どちらか だけではないのです。 親は親になったとたん 完璧な人間になるわけではないって こと 歴史からも大いに学べるのではないでしょうか・・・ほんとに 歴史上 死ななくていい人が沢山いたと思います

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